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福知山線は、東海道本線の尼崎と山陰本線の福知山を結ぶ全長108.3kmの長い路線です。登り方向は、尼崎から先、大阪まで乗り入れています。宝塚あたりまでは住宅地の中を走りますが、そこから先はだんだんローカル線ぽくなってきます。
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Fig. 1-1
DD51 福知山駅 1985年3月23日
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Fig. 1-2
福知山駅駅名標 1985年3月23日
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北陸本線は東海道線の米原から直江津までの353.9kmの路線です。途中、長浜−虎姫間にデッドセクション(交流、直流区間の混触防止のための無き電区間)が有り、数秒ですが車内が停電状態になりました。最初は驚きますが、2度目以降になると、周囲の反応が面白いです。もっとも、普通列車だと地元の人が多いので、殆ど誰も驚きませんが。このデッドセクションは、今はもう少し福井寄りに移設されたそうです。
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Fig. 2-1
糸魚川駅駅名標 1987年3月13日
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Fig. 2-2
北陸本線上り 糸魚川駅 1987年3月13日
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Fig. 2-3
直江津駅駅舎 1987年3月13日
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直江津には出張で何度か行きましたが、軽井沢、長野の信越線経由で行きました。もう10年位前の話です。その頃から工事は始まっていたように記憶していますが、今では、北陸新幹線の工事も含めで、この駅舎も驚くほどきれいに整備されました。 この写真の「三角屋根」の味のある形をした駅舎を知っている人も、地元では減って行くんでしょうね。
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加古川線は、山陽本線の加古川と福知山線の谷川を結ぶ48.5kmの路線です。西脇以北は少しアップダウンがありますが、その他は割と平坦なのどかなローカル線でした。過去形なのは、もう20年以上前の話だからです。途中、盲腸線である、三木線や北条線、鍛冶屋線等に接続しています。
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駅名標しかなくてすみません。
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Fig. 3-1
谷川駅駅名標 1985年3月23日
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三木線は加古川線の厄神と三木を結ぶ、わずか4駅(厄神駅は除く)6.8kmの路線でした。この写真を撮った直後(1985年3月)に第三セクターに転換しました。
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Fig. 4-1
三木駅駅名標 1985年3月23日
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Fig. 4-2
4月からの三木鉄道レールバス 三木駅 1985年3月23日
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Fig. 4-3
三木線上り528D 三木駅 1985年3月23日
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ところが、私鉄を含めた路線図を見ていただくと分かりますが、終点の三木の近くに神戸電鉄の駅(電鉄三木駅)があります。住人ならわざわざこの線にのって加古川に出てから、山陽本線に乗り換えて神戸や姫路方面に出かけることはしないでしょう。 そんな理由もあって、住民の多数が存続に反対(何せ、第三セクターは市も出資してますから)し、今年(2008年)4月に廃止されてしまいました。
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北条線は加古川線の粟生と終点の北条町を結ぶ13.8kmの短い盲腸線です。全線ほぼ平坦で、田園風景の中を走ります。
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Fig. 5-1
粟生駅は加古川線と北条線の分岐駅 1985年3月23日
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Fig. 5-2
北条線上り638D 北条町駅 1985年3月23日
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Fig. 5-3
北条町駅駅名標 1985年3月23日
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北条線も、お隣の三木線と同じく1985年4月から第三セクターに転換され、北条鉄道となりました。しかし、三木線とは異なり、便のよい私鉄がないので、廃止されることはありませんでした。 地元の方には悪いですが、特に大きな観光資源もないので、観光路線としては生き延びられないと思います。ですが、一人のローカル線ファンとしては、こういう生活に密着した路線が残って欲しいと思います。
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飾磨港線と書いていますが、線路の戸籍上はれっきとした播但線で、飾磨港駅は播但線の起点でした。姫路と飾磨港の3駅5.6kmを結びます。同じ線なのに、播但線の和田山方面に行くには、姫路で乗り換えなければ行けませんでした。
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Fig. 6-1
飾磨港線523D 姫路駅 1985年3月23日
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Fig. 6-2
夕暮れの飾磨港駅駅名標 1985年3月23日
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Fig. 6-3
飾磨港線524D 飾磨港駅 1985年3月23日
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この写真を撮った翌年(1986年)に廃止されました。何しろ、列車は1日2往復しかなくて。写真をご覧になると分かりますが、周囲は工業地帯です。ちょうど、兵庫−和田岬線と同じく、臨海工業地帯への貨物輸送主体の短い路線の一つでした。
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姫新線は山陽本線の姫路と伯備線の新見を結ぶ、158.1kmの長い路線です。姫路側から行くと、始め津山あたりまでは平坦ですが、新見に近づくにつれて山間を走るようになります。あまり険しい谷や上り下りはなかったと思います(あまりにも前で、覚えてない…)。
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Fig. 7-1
新見駅(写っているのは管理人) 1985年3月21日
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Fig. 7-2
新見駅上り(姫路)方向 1985年3月21日
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Fig. 7-3
三日月駅の転轍機 1985年3月21日
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Fig. 7-4
三日月駅で交換待ちの上り830D 1985年3月21日
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山陰本線は、京都から幡生までの675.4kmの長い路線で、場所によっては、本線なのにローカル線並みのダイヤの少なさです。私が大学生の頃は、ディーゼル機関車が「扉のない」「室内灯が白熱電球の」客車を引いていました。全線は乗り潰していません。 沿線には餘部陸橋など、鉄道写真マニアの撮影ポイントが多くありますが、乗り潰ししか興味のなかった私には、つまらない写真しかありません。
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Fig. 8-1
嵯峨駅駅名標 1987年3月13日
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Fig. 8-2
保津峡駅駅名標 1987年3月13日
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Fig. 8-3
福知山線上り電車 福知山駅 1987年3月13日
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Fig. 8-4
下夜久野駅駅名標 1987年3月13日
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宮津線は、山陰本線の豊岡から舞鶴線の西舞鶴までの84kmを走る路線です。日本海沿いを走っているイメージがありましたが、実際には海がすぐの所は殆ど走っていません。沿線には写真にもあるように、天橋立などの観光地があります。
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Fig. 9-1
豊岡駅駅名標と管理人 1987年3月13日
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Fig. 9-2
宮津線上り西舞鶴行き 豊岡駅 1987年3月13日
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Fig. 9-3
天橋立駅駅名標 1987年3月13日
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観光でもなく、帰省でもなく、ただ乗り潰しのために高校の後輩を付き合わせた行程でした。大垣夜行+東海道線で京都まで→山陰本線→宮津線・舞鶴線・小浜線→北陸本線→信越本線→越後線→信越本線→磐越西線→東北本線→東海道本線を2日間かけて。日本海側はまだ寒い3月のことでした。
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奈良線は、東海道本線の京都と関西本線の木津(奈良市)を結ぶ34.7kmの路線です。昔は結構のどかな路線でしたが、今ではこのあたりも住宅地が増えてきて、京阪神の通勤圏内となっているようです。それに伴って、奈良線も車両や設備がリニューアルされています。
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木津駅の車庫に「置いて」あった、奈良線の105系の電車です。向こうには関西本線の非電化区間を走るキハ30?が見えます。 子供の頃、奈良の田舎に疎開していた我が親父に依れば、関西本線は勾配が急なので、この木津駅で機関車を重連にして、峠を越えた、ということらしいです。この時はもう、そんな面影はこの駅のどこにもありませんでした。
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Fig.10-1
奈良線木津駅 1985年3月25日
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