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身延線は東海道線の富士駅から中央本線の甲府駅まで、富士川に沿って山間を走る88.4kmの路線です。晴れていれば、富士駅を出てから巨大な富士山を右手に絶景が楽しめます。車両は、「湘南電車」で長くお馴染みだった113系近郊型通勤電車の通称「坂道バージョン」の115系でした。
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Fig. 1-1
身延線下り115系627M 富士駅 1986年3月17日
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Fig. 1-2
下り627Mの交換待ち 身延駅 1986年3月17日
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Fig. 1-3
下り627Mの交換待ち 南甲府駅 1986年3月17日
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二俣線は、東海道本線の掛川から浜名湖の北側をぐるっと廻って、同じく東海道本線の新所原に至る67.9kmの結構長い路線です。この写真を撮ったのが1986年3月ですが、翌年3月には第三セクターの天竜浜名湖鉄道に転換しています。
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Fig. 2-1
上り644Dの交換待ち 三ヶ日駅 1986年3月13日
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Fig. 2-2
上り644Dはキハ20の2両 三ヶ日駅 1986年3月13日
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たまたまだったかもしれませんが、このキハ20の車両は非常に重そうに走っていて、保線も悪いのか、よく揺れた記憶があります。
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飯田線は、東海道線の豊橋から中央線の辰野までを結ぶ、195.8kmの長い路線です。地図で見ていただくと分かりますが、南アルプスと木曽駒ケ岳の間の伊那谷を、天竜川に沿って登って(下って)行きます。 伊那から飯田までは、ほぼ等高線に沿って軌道が敷かれているところが多く、ヘアピンカーブの連続で、天気がよければこれらの山々が、いろいろな角度から眺められます。一転して天竜峡から中部天竜くらいまでの区間は、険しい山の間を縫って走り、長いトンネルと渓谷の景観の連続です。人家はほとんどありません。どこの駅だったか忘れましたが、ホームから、いきなり何100段もあろうかという階段が、山の向こうに繋がっている、という風景もありました。
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Fig. 3-1
上り232M天竜峡行きの交換 伊那松島駅 1986年3月13日
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Fig. 3-2
伊那松島駅駅名標と上り天竜峡行き 1986年3月13日
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Fig. 3-3
途中木曽駒ケ岳方向の眺め 1986年3月13日
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Fig. 3-4
上り642Mの交換待ち 城西駅 1986年3月13日
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伊勢線は、南四日市と津を結ぶ26kmの短い線ですが、1987年に伊勢鉄道として、第三セクターに転換してしまいました。
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Fig. 4-1
伊勢線下りキハ30 四日市駅 1987年3月1日
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Fig. 4-2
この年開業の伊勢鉄道レールバス 玉垣駅 1987年3月1日
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Fig. 4-3
交換待ちの津行き 玉垣駅 1987年3月1日
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転換されたものの、名古屋方面と紀勢線方面を結ぶ特急は亀山でスイッチバックするわけにも行かないからだと思いますが、従来通り、ここを通っています。 平坦な田園地帯をのんびり走るローカル色豊かな路線でした。今はどんな路線になっているでしょうか?
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名松線は、紀勢本線の松阪と終着伊勢奥津(いせおきつ)駅を結ぶ43.5kmの盲腸線です。名前の通りで考えると、「松」は松阪ですが、「名」は名古屋なはずもなく、山を越えた「名張」だとのこと。
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伊勢奥津まで開通したものの、後の近鉄が先に開通してしまったために計画が中断し、今に至る、ということらしいのです。 松阪を出ると、しばらくは平坦地を走っていますが、家城(いえき)駅を過ぎたあたりから山を分け入るようにして終点、伊勢奥津に着きます。伊勢奥津は山間の町で、造り酒屋があった(稲森酒造。現存)り風情のある町です。 訪ねたのは3月初めで、松阪付近の平地には雪はありませんでしたが、終点まで来ると、まだまだ雪が残っていました。
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Fig. 5-1
名松線下りキハ28 松阪駅 1987年3月1日
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Fig. 5-2
名松線の終点伊勢奥津 1987年3月1日
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Fig. 5-3
名松線上り 伊勢奥津駅 1987年3月1日
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参宮線は、紀勢本線の多岐と鳥羽を結ぶ29.1kmの路線です。沿線には、伊勢神宮や真珠の養殖で有名な鳥羽が控えていて、廃止対象路線とはなっていないようです。
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Fig. 6-1
参宮線下りキハ47鳥羽行き 多気駅 1987年3月1日
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Fig. 6-2
多気駅は参宮線と紀勢本線の分岐 1987年3月1日
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Fig. 6-3
途中駅の伊勢市駅 1987年3月1日
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Fig. 6-4
鳥羽駅駅名標と近鉄車両(奥) 1987年3月1日
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