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東海道本線は東京から神戸まで589.5kmの大動脈ですが、途中、掛川から新所原までとか、大垣から米原までなど、本数が少なくて、ローカル線のような雰囲気の所もあります。
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Fig. 1-1
EF65牽引の踊り子号 茅ヶ崎駅 1987年1月2日
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実家にいた頃は、大学通学で乗っていたので、特別な感慨はありませんが、こうやって当時の写真を見ると、懐かしいですね。 左写真は、ヘッドマーク付きの踊り子号(下り)で、客車を牽引する臨時列車ではなかったかと思います。このEF65-1118号機は、今でも塗装が塗り替えられて、元気に貨物や客車を引いているようです。 左側は、165系の急行東海(上り)。 最近、新聞では「旅鉄」の間で有名な大垣夜行が急行になって、さらに(2009年のダイヤ改正で)廃止される、と報道されています。そんなことすると、「テツ」が減って、売上の何%か失いますよ、JR各社殿。
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相模線は神奈川県内を茅ヶ崎から橋本まで走る、33.3kmの路線です。県内最後の非電化路線として、1991年まで気動車が走っていました。今では、205系ステンレス車ですが、「ドアが外側に付いている」キハ30…いい味出してました。でも、終日、ボタンを押さないとドアが開かないのは今も変わりません。
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Fig. 2-1
キハ30と変な男(管理人) 茅ヶ崎駅 1987年1月2日
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Fig. 2-2
茅ヶ崎駅駅名標 相模線ホーム 1987年1月2日
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八高線は八王子と倉賀野を結ぶ92kmの長いローカル線です。この線も首都圏を走る非電化路線でしたが、輸送量の多い八王子から高麗川(この区間は、ローカル線とは呼べないかもしれません)までは1996年に電化されました。やはり高麗川から北側の、田園地帯をのんびり走るところが好きですね。
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Fig. 3-1
明覚駅駅名標と変な男 1987年1月3日
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Fig. 3-2
交換待ちの高崎行キハ35 明覚駅 1987年1月3日
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水郡線は常磐線の水戸と東北本線の安積永盛(郡山)、及び支線として上菅谷と常陸太田を結ぶ137.5km+9.5kmの路線で、袋田の滝などの名所がある山間を抜けて走ります。
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Fig. 4-1
水郡線上り330D 郡山駅 1986年3月8日
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Fig. 4-2
水郡線上り列車 上菅谷駅 1986年3月8日
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Fig. 4-3
上菅谷駅駅名標 1986年3月8日
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Fig. 4-4
常陸太田駅駅名標 1986年3月8日
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写真にはあまり風景がありませんが、郡山方から乗ると、暫く山間の磐城棚倉や袋田などの農村・山間を走った後、関東平野に出ます。ローカル線らしく、のんびりしていました。支線の上菅谷と常陸太田の間は、アップダウンのほとんどない、田園風景が広がっていました。
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上越線は、高崎と信越本線の宮内を結ぶ162.6kmの路線です。高崎を出ると、まずはこの路線の見所(というか、最大の「難所」)の清水トンネルです。長いです。ひたすら直線(上り方向は土合・土樽にループがあります)です。青春18切符の売り出される冬や春であれば、「トンネルを抜けると雪国」が実感できるでしょう。ところでこの路線、新幹線が開通してから本数が激減しましたが、まだ青春18で乗れる普通列車って走ってるのかな?
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Fig. 5-1
上越線下り 越後川口駅 1987年3月9日
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Fig. 5-2
上越線下り 長岡駅 1987年3月9日
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これらの3枚の写真はいずれも3月ですが、見ての通り、まだ雪が残っています。1980年代ですから、まだまだ「豪雪」がニュースになった頃ならでは、なのかも知れませんが…。 2度ほど乗りましたが、走ったのが夜だったり、夜行列車の徹夜明けで寝てたりして、ほとんど記憶がないです。
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Fig. 5-3
越後堀之内駅駅名標 1987年3月9日
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吾妻線は、高崎線の渋川から大前までの55.6kmの比較的長い盲腸線です。高崎線の渋川で寝ていて、上り方向に一駅(八木原まで)乗り過ごし、戻っても間に合ったという、記憶があります。終点に着く頃には日が暮れてしまい、駅や車両の写真がありませんが、時刻表を見ての通り、日に5本しか列車がありません。今はどうなっているんでしょう?
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Fig. 6-1
小野上駅駅名標 1987年3月9日
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Fig. 6-2
大前駅の上り時刻表 1987年3月9日
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終点の大前駅は、駅舎と公衆電話しかない、本当に何もない無人駅でした。ひとつ手前の、万座・鹿沢口は草津温泉への玄関口で、けっこうにぎやかな駅なんですが。
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足尾線は、両毛線の桐生から間藤までの44.1kmの盲腸線です。現在では1989年開業の「わたらせ渓谷鐵道」として第三セクターが運営しています。その前は、まだまだ足尾銅山の引込み線、という感じの路線でした。終点の間藤駅などは、同じ駅かと見まごう程に整備されています。
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Fig. 7-1
間藤行きキハ40 桐生駅 1987年1月3日
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Fig. 7-2
大間々駅での交換待ち 1987年1月3日
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Fig. 7-3
足尾駅の操車場 1987年1月3日
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Fig. 7-4
山の向こうは中禅寺湖 終着間藤駅 1987年1月3日
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Fig. 7-5
間藤駅駅舎(同行の従兄弟です) 1987年1月3日
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わたらせ渓谷鐵道のHPなどを見ていると、銅山の廃止後は完全に観光路線としてリニューアルされたようです。 昔の「旅鉄」としては、生活や産業の匂いのする、こういう路線がなくなっていくのが、少しさびしい気がします。
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真岡線は水戸線の下館と茂木を結ぶ42kmの路線です。一旦はJR東日本になったものの、その後、1988年に第三セクター「真岡鐵道」となりました。今では駅舎もきれいになり、時々SLが走っている観光路線になりました。終点の茂木の先には、「ツインリンクもてぎ」ができました。アップダウンはあまりない路線で、私が乗った頃は、のどかなローカル線でした。
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Fig. 8-1
七井駅駅名標 1987年3月5日
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Fig. 8-2
茂木駅駅名標 1987年3月5日
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Fig. 8-3
夕暮れの茂木駅ホームから 1987年3月5日
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Fig. 8-4
真岡線上りキハ20 茂木駅 1987年3月5日
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日光線は、東北本線の宇都宮と日光を結ぶ40.5kmの路線です。日光に行くのに修学旅行で乗った方も多いのでは? 観光地をバックに控えているので、第三セクター転換や廃線の話はないようです。沿線は、日光街道の杉並木(Fig.9-1の駅名標の向こう側がその杉並木)に沿って走る、アップダウンのあまりないローカル線です。
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Fig. 9-1
文挟駅駅名標 後ろは杉並木 1987年3月5日
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Fig. 9-2
下り 文挟駅での交換待ち 1987年3月5日
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Fig. 9-3
日光線の終点日光駅 1987年3月5日
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Fig. 9-4
向こうには日光の山々が 1987年3月5日
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烏山線は、東北本線の宝積寺から烏山までの20.4kmの短いローカル線です。アップダウンは余りありません。田んぼや畑の中をのんびり走ります。始点の「宝積寺」から途中駅の「大金」駅までの乗車券が、縁起担ぎで売れるとか。
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Fig.10-1
縁起のいい烏山線の始点 宝積寺 1987年3月5日
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Fig.10-2
烏山線下りキハ40 宝積寺駅 1987年3月5日
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Fig.10-3
烏山線の終点 烏山駅駅名標 1987年3月5日
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Fig.10-4
烏山駅全景 1987年3月5日
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「旅鉄」を始めた当時、国鉄民営化の流れの中で、廃止や第三セクター転換の話が出た路線の沿線には、「乗って残そう○○線」という立て看板やら、横断幕がありました。この、烏山駅の写真にもありますが、働き盛りは都会に出て、残った子供も少子化で通学客が減り…ということで、どんどん廃線、転換になってしまいました。 近年、石油の値上がりとエコで公共交通機関が見直されていますが、剥がした線路はもう敷けない…。ノスタルジーではなく、本当にこういうローカル線を国を維持するインフラの観点から、残せなかったことが、将来どんな形で我々に降りかかってくるのか、心配です。
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Fig.10-5
大金駅での交換 1987年3月5日
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飯山線は、信越本線の豊野(長野)から上越線の越後川口(新潟)までの96.7kmの長い路線です。豪雪地帯を走る路線です。行ったのは3月でしたが、まだ2m近い雪が残っていました。
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Fig.11-1
飯山線下り 戸狩野沢温泉行き 長野駅 1987年3月9日
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Fig.11-2
長野駅駅名標 1987年3月9日
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Fig.11-3
戸狩野沢温泉駅駅名標 1987年3月9日
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Fig.11-4
雪の中の越後川足駅 1987年3月9日
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Fig.11-5
新潟県側の終着 越後川口駅駅名標 1987年3月9日
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豪雪の話の続きですが、調べてみると、この路線では森宮野原駅で7m85cmの積雪が記録されており、駅のホームにはその高さを示すポールが立っていました。どうやって列車の運行を確保したんですかね…あ、運休か? これは日本だけでなく、世界記録じゃないでしょうか? 寒いだけならバイカル湖とかいろいろありますが、大陸の内部では湿度が低いですから、雪はさほど降らない。こんなドカ雪が降るのは、世界でもこのあたりくらいなものなのでしょう。 沿線には大きな地震もありました。地元の復興をお祈りします。
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総武本線は東京から銚子までの120.5kmと支線として錦糸町−秋葉原-御茶ノ水間の4.3kmの路線です。千葉駅を過ぎて成田あたりまでは田園と住宅地の中を走ります。成田を過ぎてしばらくすると、ローカル線ぽくなってきます。
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Fig.12-1
榎戸駅駅名標 1987年3月4日
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Fig.12-2
銚子駅駅名標 クースベイ? 1987年3月4日
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JRでなくて恐縮ですが、銚子電鉄もいい味出してます。乗った途端に昭和時代に戻れます。何たって、車内広告が手書きです。この車両じゃないですが、パンタグラフの方向転換、手動です。経営危機だとのことですが、こんな文化財みたいな路線を廃線にしてはいけません。私が行った時には、お客さんが車掌さんに何か言ったと思ったら、次の駅で駅の中にある「鯛焼き」屋さんから車掌さんが鯛焼きを買ってきてくれました。こんな路線、他にない! 「クースベイ」という謎の駅名標。調べたら、アメリカのクースベイという市と姉妹都市とのこと。でもなんで駅名標なんだろ? 余計に謎…。
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Fig.12-3
昭和レトロを体験 銚子電鉄 銚子駅 1987年3月4日
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総武本線の香取駅から分かれて、北鹿島までの17.4kmの短い盲腸線です。私は、列車の終点である鹿島神宮駅までしか乗りませんでしたが、実は国鉄の線路はその先も北鹿島駅(現鹿島サッカースタジアム)まであって、その向こうが鹿島臨海鉄道の所有する線路になるんだとか。でも、鹿島神宮−北鹿島間は国鉄の切符で乗れなかった(今も乗れない。多分)。何でだろ。
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Fig.13-1
鹿島線の始点 香取駅 1987年3月4日
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Fig.13-2
途中駅の延方駅駅名標 1987年3月4日
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Fig.13-3
鹿島線の列車の終点 鹿島神宮駅 1987年3月4日
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Fig.13-4
鹿島鉄道の車両 鹿島神宮駅 1987年3月4日
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